クルーズ寄港中のロシア、サンクトペテルブルクで交通事故に巻き込まれて入院した話その④(全5回)です。
最初から読むにはこちらからどうぞ。
入院中のビザ切れ問題、相場が分からない医療費といった心配を乗り越え、ようやく退院、ロシアを出国しました。
入院中に先に出港してしまったクルーズの旅程はまだ残っていたので、船を追いかけて合流しようと寄港地のストックホルムへ向かったところです。
スウェーデン到着。一難去ってまた一難
サンクトペテルブルクを飛び立ち、ヘルシンキ経由で現地時間朝の9時にストックホルムに着きました。
港までは市内中心部から電車で1時間ほど離れていますが、船の出航は夕方なので半日程度観光をする時間があります。
日本から持ってきていたストックホルムのガイドブックはさすがに船に置きっぱなしでしたが、もともと船会社の寄港地ツアーではなく、自力で散策する計画だったので場所や行き方を調べた情報が全てスマホに入ってたのが幸いでした。
そこで私たちは当初寄港地観光として予定していたノーベル博物館に行くことにしました。
つい数時間前のロシアの出国審査での恐怖体験も忘れ、この時は船に戻れることですっかり上機嫌になっていました。
「結局こうやって寄港地も散策した上で船に乗るのなら、実質ヘルシンキ観光を1日飛ばしてしまっただけで、一応ヘルシンキもトランジットで寄ったには寄ったし、大きなロスにならなくてよかったな~」などとのんきなことを考えながら博物館に向かっていました。
そこで、携帯電話が鳴りました。
出ると今日合流予定の船のオフィサーからでした。
そこで信じられない言葉を耳にします。
なんと、悪天候により、本日のストックホルムの抜港(寄港地を飛ばすこと)が決定したとのこと。
しかも、ストックホルムは最後の寄港地だったので、船は翌日の終日航海日を挟んで翌々日には最終下船地であるコペンハーゲンに着いてしまいます。
つまりこの旅でもうクルーズ船内で過ごすことはできないという知らせです。
また、最終下船地でも船会社の規定上船内への立ち入りはできず、荷物は船員がまとめて降ろすとのことでした。
もしかしたら変な話、事故自体よりも、この時のほうがショックが大きかったかもしれません。
事故も十分ショックでしたが、幸い体調はそこまでシビアではなく、治ったらまた船に合流できるという希望があったので、とにかく回復に努め、一刻も早く船旅に戻るんだという目標を持って気を張っていられました。
それが今もろくも崩れたのです・・・。
電話を終え、いったん状況を整理するために近くのレストランに入りました。
とりあえず、翌々日の朝にコペンハーゲン港に船内に残した荷物を回収しに行くことだけは決まったので、あとはそこまでの行き方と過ごし方を考えるしかありません。
元の旅程では、下船後にコペンハーゲンで2泊する予定になっていました。
結局今晩はストックホルムに滞在して明日1日早くコペンハーゲン入りし、後泊と同じホテルをもう1日前倒しで取ることにしました。
食事をしながらスマホでフライトとホテルを検索し、すぐに手配出来ました。
手元の荷物が限られていても、スマホで解決できる時代で本当に良かったと思います。
これで明日のフライトまで自由時間になってしまったので、結局その後ノーベル博物館やもともとほかにも予定していた観光地には行きました。
しかし気分は最悪に沈んでいたので、ほとんど楽しかった記憶はありません。
気持ちの切り替え
気乗りしないまま翌日を迎え、ストックホルムの空港に向かう電車の中にいました。
昨日の抜港のお知らせ電話からずっとテンションは下がりっぱなしでしたが、この時ふと思いました。
この時点でまだ旅は数日残っています。
せっかく休暇を取って海外旅行に来ているのに、入院で予定に大幅な変更を余儀なくされた上、このままくよくよとネガティブに過ごすのはとてももったいないことです。
幸い脳震盪だけで済んだし、払った医療費だって保険でカバーされる見込みがある。
今回の長期旅行に気合を入れていた分、計画通りにいかなかったことがショックなだけで、今の状況はそんなに悲観するようなことではないのではないか、と考え始めました。
結果、残りの旅行は気分だけでも楽しく過ごさないと損だ、という結論に達し、以後は落ち込むことをやめました。
船と4日ぶりの再会、船内に残した荷物の回収
当初の予定と比べると、コペンハーゲンに1日早く入った計算になるので、浮いた1日を満喫することにしました。
空港で3日間の観光パスを買い、優待される施設をどんどん観光しまくりました。
翌日はお昼前にコペンハーゲン港に行きました。
見覚えのあるその船が港にいました。
もう私たちと同じ日程の乗客は降りた後で、ターミナルでは今日から乗船のゲストたちのチェックイン手続きを行っている最中でした。
入り口で名前を告げると、ターミナルの横にあるクルーの控室に通されました。
控室には自分たちの持ち物が次々に運び込まれました。
荷物が船内に取り残されないよう、何がいくつあるといったことが事細かに書かれたリストも作っていただいていたので、それと照合しながら1つずつこちらで確認し、スーツケースに詰め込みなおしました。
船に戻れなかったことはとても残念ですが、丁寧に作業してもらったことはすごくありがたかったです。
最後に荷物を確認したサインをし、船と船員たちと別れました。
帰国
残りのコペンハーゲンの旅は何のトラブルもなく過ごし、予定通りの飛行機で無事に帰国しました。
ロシアの病院を退院するときには、何か異常があったら日本ですぐに病院にかかるようにとも言われましたが、幸いそのようなことにもなりませんでした。
会社にも当初の予定通りの日から出社できました。
ただ、まだネタにして笑い話にする余裕はなく、しばらく事故のことは誰にも言わず、普通に旅行を楽しんだという話だけしていました。
やっぱり引っ掛かっていたのでしょう、そうお金のことが。
次回、「寄港中にロシアで入院した話」完結編では、クレジットカード付帯の海外旅行保険は結局どうなったのかについてと、振り返ってみて今思うことについて書きたいと思います。