クルーズ寄港中のロシア、サンクトペテルブルクで交通事故に巻き込まれて入院した話その③(全5回)です。
最初から読むにはこちらからどうぞ。
今回は、入院のために観光ビザが切れてしまった問題の対応や、気になる医療費について報告します。
病院のケースワーカーに相談
アクシデントとはいえ、ビザが切れた状態のまま今もロシアにいることはとても不安でした。
最悪、不法滞在の罪に問われたり、今後の海外渡航にも影響が出たりするのではないかということを危惧しました。
入院した病院には、治療まわりの困りごとの相談に乗ってくれるケースワーカーさんがいたので、ひとまず聞いてみることにしました。
私はこの前日にクルーズ船で出国するばずだったので、ビザもその期間で取得していることを伝えました。
すると彼女は、入院した人のビザが切れるのは当たり前だから大丈夫と力強く言ってくれました。
しかし、期限切れには違いないので出国時に空港で罰金を支払う必要があると言うのです。
形としては罰金になりますが、これは今回の私の入院のようにやむを得ず滞在を延長してしまった人の正当な手続きで、罰金さえ納めれば特に犯罪歴などがつくことはなく、今後のロシア入国も全く問題なくできるということでした。
一抹の不安が残りましたが、ほかに選択肢もないので腹をくくりました。
退院決定!船への合流計画
その日の点滴を受け病室でのんびりしていると、お昼過ぎに医師が訪ねてきました。
検査の結果が出て、数値も問題なかったということで退院が決まったとのこと。
その後先程のケースワーカーさんも来てくれ、船に合流するための段取りについての説明がありました。
船はこの日ヘルシンキに寄港中です。
さすがに今日は追いつけないので、翌日の寄港地であるストックホルムでの合流を目指すことになりました。
出港時間は夕方なので、朝一でサンクトペテルブルクから飛べば、間に合う計算です。
ケースワーカーさんが航空券の手配と、船会社へ明日と夫が乗船するという連絡もして下さりました。
さらに、空港でまでの送迎と、空港で罰金を払うときに入院を証明するために医師も1人同行してくれるという手厚い待遇を受けました。
罰金のことはまだ少し気がかりではありましたが、現地の医師が同行してくれるのは頼もしいです。
ロシアでの2泊3日の入院費は?
退院に向け、次はいよいよ医療費の支払いをするときが来ました。
まだ2日目ですが、退院は明日なので2泊3日分の入院費になります。
この時までロシアの医療費の相場感が分からなかったので、「海外で入院して、ン百万払った!」みたいな最悪のイメトレをしていました。
実際請求された明細を確認すると、しめて20万ルーブルでした。
日本円では35万円くらいです。
クレジットカードが使えたのでそれで支払いをしました。
イメトレが効いたのか、この金額見をたとき、正直想像よりは安くすんだと安堵してしまいました。
入院費、治療費や救急車の搬送費用のほか、翌日のフライト代や、空港までの送迎や医師の同行なども全て含んでの金額です。
予期せぬ突然の出費としてはもちろん少なくない金額ではありますが、ここまで相当いろいろあったので、あーよかったという感情が勝りました。
ちなみに最初に運び込まれた病院の医療費は、こちらの病院に来る前に清算しているのですが、そちらは日本円換算で1万円程度でした。
失われた時間を取り戻す
退院許可が下りたということは、もう外出してもいいのかを看護師に確認しました。
昨日交通事故にあったばかりで入院中なのに、なんてクレイジーなやつなんだと思われたかもしれませんが、このままロシアをいやな記憶で終えたくはなかったので、私は今からいい思い出を作りに行こうと思ったのです。
外出は許可され、昨日からずっと腕に刺さったままだった点滴用のカテーテルも外してもらえました。
ケースワーカーさんが病院の近郊の観光地図をくれ、送り出してくれました。
この時外に出て初めて気づいたことがあります。
実はこの病院はサンクトペテルブルクの超中心部にありました。
運び込まれたときは天井だけを見ていたので全くどこにいるのか知りませんでした。
おかげで夕食までのわずかな時間ではありましたが、近隣のいかにもロシアな建物を見ながら、スーパーに行ったり、絶対お土産にすると決めていた猫のマトリョーシカを買ったり、夫とともにサンクトペテルブルク観光を楽しむことができました。
結局のところの診断名
つかの間の観光を楽しんだあとは、また病院に戻って最後の晩餐をいただきました。
夜寝る前には、翌日船に戻る準備としての医師にレター(健康上問題ないという証明書)や、保険会社に提出する診断書なども受け取り、これで退院するためのすべての手続きは完了しました。
この診断書を見て初めて自分の状態が脳震盪だったんだということを知りました。
ひとまず脳はどこも出血しておらず、この2日間の治療は腫れをひかせるために水分を外に出していたようです。
退院してもしばらくは水をひく治療は続けるようで、飲み薬が処方されました。
ちなみに脳以外は、額に化粧で隠せるくらいのかすり傷ができた程度で、その他は打撲等一切ありませんでした。
退院は夜中の3時
ストックホルムを夕方に出港する船に追いつくためには、サンクトペテルブルクを朝一で発つ飛行機に乗らなくてはなりません。
直行便はなく、ヘルシンキ経由です。
それが朝6時発。
病院を出るのは夜中の3時です。
何とか寝過ごすこともなく予定通り3時に、付き添いの医師とドライバーともに空港に向かいました。
送迎車はなんと救急車でした。
もちろんもう元気なので今度はストレッチャーではなく椅子に座り、ベルトを締めます。
救急車の車窓から、通り過ぎるサンクトペテルブルクの真夜中の街並みを眺めるのは何とも不思議な気持ちになりました。
ビザ切れの代償
空港に着いて、医師と一緒に救急車を降りました。
初めに飛行機のチェックインを行い、その後問題の罰金を払う窓口に向かいました。
チェックインカウンターからは少し離れた場所にあったので、自分たちだけだったらそもそもこの場所すら見つけられなかったと思います。
窓口では医師が係員に事情を説明してくれ、特に咎められたりもなく、スムーズに支払いを行いました。
いくらだったのかはもう覚えていないのですが、1人1,000~2,000円ぐらいだったと思います。
支払いが済むとこの先はセキュリティエリアになるので、医師にお礼を言い、ここでお別れしました。
本当にケースワーカーさんの言っていた通りにあっさり終わったので拍子抜けしました。
・・・でもほっとするのはまだ少し早かったのです。
保安検査所を通過した後は、出国審査です。
私はもう罰金も払ったので、これですべての問題は解決したと完全に油断していました。
出国審査のカウンターに、パスポートと先ほどの罰金を支払った証明書を提出しました。
審査官はパスポートに貼られているビザの日付を確認すると、ピリッとした表情に変わり、「何故ビザが切れているのか説明してください」と一切の温情もない様子で尋ねてきました。
もう頼みの綱の医師はいません。
仕方がないので英語でありのままを説明しました。
説明し終わると、表情を一つも変えずに怖い顔のまま無事に通してくれました。
ここ数年での一番のピンチの瞬間だったかもしれません。
とにかく出国できたのでもう大丈夫です。
この時はこれから船に戻ってまた残りの船旅を続けるんだという目標で、なんとか修羅場を乗り切ることができました。
この後、一難去ってまた一難という言葉を心底実感することになるのですが、それはまた次回に続きます。